アイドルになれないなら死にたい

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能町みね子『ときめかない日記』

2015-08-01

めいちゃんはすごいね。すごいよね。私はずっとめいちゃんの言うことすごいわかるなーとか共感できるなーとか感じてたよ、
他の友達に置いてけぼりにされている感じとか、友達に彼氏ができたこととか、同棲を始めたこととか、結婚してしまうこととか、それを素直に喜べない感覚とかめいちゃんとは共有できていたのに。

「7年たっちゃって その間に後藤ちゃんは4人つきあってるんだよね」
「さみしいなー 何が違うのかな 出会いがないのかな」

私超性格悪い嫌な女だから全部言っちゃうね。
めいちゃんもまだ処女だからって、めいちゃんも私と同じような冴えない日々を送って、同士だなんて思ってたし、実はすごく安心していたかっただけなんだよね。
だって私めいちゃんに彼氏できてすごく焦ったもん。なんでめいちゃんにはできて私にはできないんだろうって。
めいちゃんちょっと女らしくなって、ずるいなって。

あのね。めいちゃん、実は私も出会い系やってみたんだ、初めてみたんだ。すごいね出会い系。私束の間のモテ感を味わったよ。女でよかったー。どんどん男の人からメッセージが来るの。すごいね出会い系。

「お母さん お父さん・・・ 私は今 出会い系で検索してるよ」ってめいちゃんは言ってたけど、私はそんな後ろめたさとか感じなかったな。逆に本当に私の悪い癖でどうやって人に面白おかしく伝えようとか、ブログにどんな風に書こうかとか、あの大好きなお友達にどうやってプレゼンしようかとか考えちゃって。

あのね、すごくね、面白い人がいっぱいいるの。話しててすごく楽しいの。でも業者なのかな?釣りなのかな?あの人もあの人も存在しない存在なのかな?

でもね、すごくいい人なんだけど、私この人と会ったらセックスしなきゃいけないのかな?
ただ、会って面白い話するだけじゃダメなのかな?好きな音楽の話とか、好きな映画の話とか、好きなお洋服の話とか。
お酒飲んでそんなお話して、そんなんでもいいのかな?いいのかな?でも出会い系初めてだからよくわかんないよ。

やっぱり、相手はそういうこと求めているんじゃないのかな?
彼氏っていうよりもセフレみたいな、付き合ってないけど、セックスするみたいな。

ねえめいちゃん。「するべきことって セックスなのかな・・・」?
私は普通の恋がしたいんだよね。でもさ、ありのままじゃダメなんだよね、ありのままをわかってほしいなんて本当それって最初からそれを求めちゃダメなんだよね。だってもう私たちは高校生じゃないもん、大学生でもないもんね。文化祭で一生懸命頑張る姿とか見てもらえやしないし、結局外見なんだよね。相手がちょっとでもいいと思ってくれるような範疇に入らなければ中身なんてみてもらえないもんね。だから私もちょっと最近かわいくしてるんだ。私が急にちゃんとしてるもんだから、周りからもセックスした?なんて言われて、まあ私も悪い気はしていないんだけどね。

めいちゃんは会ったんだもんね。んでその人とちゃんと付き合ってるんだもんね。セックスしたんだもんね。
その出会い系だとね、ちゃんと頑張ってるんだよ私。嫌いなハートとか使ってるよ。あと普段は使わないかわいい顔文字も。頑張ってるよめいちゃん、私。

ねえめいちゃん。
出会い系やったって会わなければ、ただインターネットで知り合った人と、アプリ上で会話してるだけで終わっちゃうんだよね。そんなのツイッターと一緒だよね。出会い系始めた意味ないよね?
私もここで踏み出さなければ、誰かとリアルで会わなければ、結局なんにもしてないのと一緒だもんね?

ねえ、でも、会ったらセックスしなきゃダメなのかな?

ねえめいちゃん、私間違ってるかな?

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『女子をこじらせて』雨宮まみ

衝撃であった。2011年、どのようにしてこの本に出会ったのかは忘れてしまったが、兎にも角にも、泣きながら読みふけったのであった。
何度も再読もしたし、父にも友人にもすすめたくらいだ。(でも誰も読んではくれなかった)

201504-01

当時の私はそれにひどく共感した。筆者の鬱屈した性格は、はたから見れば滑稽であるのだが、

自分にも潜んでいるこじらせが満載になっており、身につまされる思いをした。

先日、文庫が出版された。
解説に上野千鶴子女史を迎え、文庫版の濃厚なあとがきも巻末に収められている。

201504-02

かつての私は女として不完全であると強く思い込み、女でいることをやめたくて仕方がなかった。
ぼさぼさの髪に、よれよれのTシャツ、男の子のような服装をして、私は私自身を女であるということから遠ざけていた。

私は本書に対して居心地の良さを感じた。
こういう風に自分を極力女であるということから遠ざけたい人間 は他にもいるのだと、私は心強く思った。
まみさんの痛快な自分語りは私自身の自己分析にもなっていた。

しかし、果たしてその自己分析とやらで打開策は見いだせたのだろうか。
まみさんの本に答えを求めすぎて、自身が思考することをやめてしまっていたのではないだろうか。
共感ばかりを求めすぎて、自身の立ち位置や、機会や外部環境というものを置き去りにしてしまったのではないだろうか。

「本を読むとき、答えを探すのではなく、答え合わせとして読みなさい」と友達がこんなことを言っていた。
本当にその通りだと思う。

本に対して、共感したり、感動したりすることはもちろんいいことだ。
しかし、安心してはいけないのだと思った。自分と同じ価値観を見つけて嬉しくなるが、決してそれが答えではない。

私はもうこの本を読まないだろう。できれば読まずにいたい。
(文庫版は買ったが本編は読まず、解説とあとがきのみを読んだ。)
もし再読してしまったら、また自己分析の海へ投げ出されてしまうのではないだろうか、と怖いからだ。

こじらせは誰もほどいてはくれない。
こじらせというドアを解き放つのは、
他者からのありがたいご助言でも
嬉しい暴言でも小突き合いでも
女子会で繰り広げられる愚痴の言い合いでも
スピリチュアルでもオカルトでも
社会運動でもデモでも脱原発でも
音楽でも本でも偉人でも
ないのだ。

世間ずれしていく中で、やっと自分の立ち位置が見えてきた。
「世界の約束を知って、それなりになって」とフジファブリック志村も歌ってたように

それなりになってようやく見えてくるのだ。
自分がどうありたいかとか、どうなりたいかとか、どうならなれるとか。

そのドアは自分でこじあけるしかないのだ。
こじらせのドアをこじあけるのだ

私は今、おもいきり女子を楽しみたいと思うのだ。
こじらせというボロ服を脱ぎ捨て、男にとってのいい女という鉄面皮を被ってみたいのだ。

とりあえずやってみたいのだ。本書解説内のワードで言えば”優しいおばあちゃん”になりたいのだ。尽くしてものわかりのいい女を演じてみたいのだ。日々の暮らしの中でなんとかそういったこじらせに笑いに自己卑下にネタに頼らず生きていきたいのだ。

私は女子だ。女子である。女子を女子らしく享受し全うしたいのである。

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