アイドルになれないなら死にたい

寂しさと好きの違いについて〜空洞考察〜

私は寂しいと好きの違いがわからない。
寂しいから異性に連絡をしようとする。酔っ払ってメールをして、翌朝後悔するというパターンだ、いつだってそうだ。

でも例えばその異性とうまく会えたとしよう。
そして一緒にご飯を食べに行ったとしよう。

でもその寂しさなんて埋まらないのではないだろうか。

抱きしめ合うことでしか埋められないと思っていたが、実際はどうなのであろうか。

そもそも、ちゃんと付き合っている人だって、寂しさを感じてしまうこともある。
そして私と同じように孤独だと感じている人だっている。

じゃあそれってどうやって埋まるのだろうか。
どうやったらその寂しさを埋めることができるのだろうか。

家族か、恋人か、夫か、子供か。
音楽か、本か、漫画か、アニメか、映画か、インターネットか。

寂しさとは、なんなのであろうか。
誰かといても結局は埋まらないものであろう。
たとえその人がどんなに大切な人であっても。
何か好きなものを摂取していても埋まらないものである。
人間は常に寂しさとともにいる。たぶん絶対そうである。

だから、
埋めよう埋めようと必死になる必要はないのだ。

埋めよう埋めようと必死になっているとあっという間に年をとる。
穴を埋めるために生きるのはやめようではないか。
穴を埋めるために生きるのなんてとても滑稽ではないか。

じゃあなんのために生きるのか。
穴にぴたりとはまるものを探すことでも、その埋めるものに穴を合わせることでもない。

穴の周りに身をつけよう。
どうせなら立派なドーナツにしよう。

そうやって私を形作っていこう。
穴は埋まらない。空洞は存在し続ける。
ないんじゃなくて、あるのだ。

穴はあるのだ。
私は穴を持っているのだ。
躍起になる必要なんてどこにもないのだ。

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